トヨワクニュース

トヨタNews

トヨワクニュース

ウーブン・シティに"帰省" 東富士工場125人に「おかえりなさい」

2025.10.01

9月25日、ついにウーブン・シティがオフィシャルローンチを迎えた。2020年1月に世界最大規模のテクノロジー見本市「CES」で、豊田章男社長(当時)が構想を発表して5年、ついに現実のものとなった。

 

ここから、トヨタやウーブン・バイ・トヨタ(WbyT)などの関係者とその家族が入居を始める。

その後、対象を社外のインベンター(発明家)などにも拡大。フェーズ1と呼ばれる最初の実証エリアでは、300人の入居を予定している。

帰ってきた125名

オフィシャルローンチに先立つ22日、一足先にウーブン・シティを訪れた人たちがいた。トヨタ自動車東日本 東富士工場で働いていた従業員125名。

WbyTが主催するシティツアーと対話イベントに参加するためだ。

 

これまで度々紹介してきたように、ウーブン・シティができるのは、東富士工場の跡地。

1967年から半世紀以上にわたりクルマを送り出してきた同工場。閉鎖がアナウンスされた2018年7月、豊田社長(当時)が訪れ、「実証都市」とする構想を従業員に打ち明けた。

当時、会社で承認されたものではなかったが、豊田社長は後に「仲間のことを思う皆さんに一番初めに伝えたかった」と、この場で話した理由を振り返っている。

ウーブン・シティのルーツには、東富士工場の歴史と故郷を離れざるを得なかった従業員の想いがある。

「それをどのように未来につないでいくか」はプロジェクトに携わるメンバー全員が共有する問いとなっており、まちの至るところに東富士工場の面影を残している。

かつて東富士工場にあった枯山水をウェルカムセンターに移設。工場閉鎖に伴い、日本橋のWbyTのオフィスに移していたもの。ウーブン・シティのオフィシャルローンチに伴い、“里帰り”した。東富士工場がつくってきたスプリンタートレノ、センチュリー、JPN TAXIのミニカーが飾られている。
むき出しの鉄骨、塗装がはがれ油がにじむ床、金型を入れ替えるためのクレーンなど、プレス工場の建屋の趣をそのまま残したインベンターガレージ(写真は2025年1月時点)。インベンター(発明家)の製品、サービスの開発拠点として活用してもらう。

今回のイベントも、誰かに指示されたわけでもなく、WbyTのメンバーが自ら発案。「一番に故郷に迎え入れてあげたい」と企画した。

ウーブン・シティに「おかえりなさい」

この日のメインは、シティツアー後に行われた対話イベント「あの日のつづき」。

 

WbyTのメンバーがどんな想いでまちづくりに取り組んできたかをまとめた映像の後で、豊田大輔シニア・バイス・プレジデント(SVP)があいさつ。

真っ先に伝えたのは「おかえりなさい」だった。

豊田SVP(抜粋)

 

トヨタ自動車東日本の皆様にお伝えしたい言葉がありました。「おかえりなさい」。

そう言われても、ずいぶん変わってしまって、そんな感じはしないと思われるかもしれません。

ですが、我々、勝手ながら、想いを受け継がせていただいているつもりです。

ウーブン・シティは、「過去」「現在」を受け継いで、「未来」につなげていくプロジェクトです。正解がわからない中で、みんなで模索していきたいと思っています。

 

今、(トヨタが)モビリティカンパニーに変わっていく中で、「次の道を発明しよう」と掲げています。でも、「何をすればいいんだろう」と、正直、わからないこともたくさんあります。

そういうときに、「こういうものがあったらいいな」を具現化しやすかったり、すぐ試せる場所、そして、困ったときに立ち止まったり、立ち戻れる場所が必要だと思います。

トヨタグループには、もっといいクルマづくりで培ってきたノウハウや、有形・無形資産がたくさんありますが、それをクルマづくり以外にも活かしていきます。

まずやってみて、ウィーバーズである住民の方々に、いろいろなことを評価、コメントしていただき、もっといい商品、サービス、価値づくりを行います。

お客様の笑顔のために、幸せの量産のために、もがき、模索していく。だからこそ、すべての始まりであるこの場所がとても大事だと思っております。

かつて、53年間、一人ひとりが想いを込めて、丁寧に1台ずつクルマをつくっていただいた。そして、お客様の声を聞いて、さらによくしていただいた。ここはそういう改善、もっといいクルマづくりが行われた場所でした。

そのモノづくりの魂が、この場所には込められていると思っております。

 

先人たちがしてきたことと、形、姿は違うけれども、同じ想いを背負って実施させていただき、今の我々世代の想いを込めて、未来の世代に、その魂を託していきたいと思っております。

本日、125名の皆様にお越しいただきました。いつでも帰ってきていただきたいと思いますし、ここにも戻る場所があるんだと感じていただければと思います。

 

喜び分かち合う仲間との再会

初めて来た場所。でも、懐かしさを感じてしまう場所。イベントに招待された東富士工場のメンバーもここで働いた日々に想いを馳せた。

大衡工場 品質管理部 秋葉楓恋さん

 

2018年4月の入社後すぐに異動の話がありました。すごく不安もあったのですが、宮城県の大衡工場に異動し、温かく受け入れてもらって、毎日楽しく勤務できています。

それでも、東富士工場の方々は、今でも会うと元気がもらえたり、私も頑張らなくちゃと思える大切な存在です。

大切な方々との思い出の場所を、このような素敵なまちにしていただきました。住民の方にとっても大事な場所になると思うと、とてもうれしいです。

岩手工場 車体部 土屋充広さん

 

当時、保全をやっていましたが、(工場の)あの梁(はり)の上を走っていったなぁ…、40トンのプレス機にはよく泣かされたな…と、ここにはいろんな思い出が詰まっています。

 

今は寂しいというより、これからこのまちがどうなっていくんだろう、我々が残したものが未来の土台になっていくのかな…と感慨深く見ていました。

東富士にいた仲間は、今、宮城、岩手とバラバラになっています。私も宮城に、その後、岩手に異動しています。

元々ここにいた皆さんは、別の工場に行っても、会うとほっとする人たちばかり。今日、戻ってこられてよかった。

大衡工場 組立部 小林真悟さん

 

2002年に入社して、東富士工場一筋で働いてきました。

今、家族を残して、単身赴任で宮城に行っています。皆さんそうだと思うんですが、連休で帰省すると、ウーブン・シティが見えるんです。

「だんだんできてきているな」と、帰る楽しみの一つになっていました。

当時、この場所が「故郷になる」と言っていただきました。今日招待してもらって、入口で、皆さんに拍手で歓迎してもらって、すごく気持ちがよく、うれしかったです。

どんどん進化させていくと思うんですが、この地を一緒に見守っていきたいと思います。

なお、オフィシャルローンチとなった25日は木曜日。かつて、東富士工場では、木曜日に食堂に並ぶ担々麵が人気メニューだったとのこと。

それにちなんで、WbyTのメンバーが当時のレシピを教わり、懐かしの味を再現するというサプライズも。

 

至るところで蘇る懐かしい記憶。東富士工場のメンバーは再会の喜びを分かち合い、思い出話に花を咲かせた。

ウーブン・シティへの期待

ウーブン・シティへの“帰省”。参加者はそれぞれこのまちへの期待を語ってくれた。

「私たちは裾野出身で、この工場でずっと育ててもらいました。そんな工場のことを(WbyTの人たちは)思ってくれて、(ウーブン・シティを)つくってくれている。これからもずっと忘れないでいてくれるとうれしいな」

「(ここで過ごした)30年、決して、楽しいことばかりではありませんでした。1台のクルマをつくり上げるのは大変で、すごく苦労したことを思い出しました。でも、あの頃があったから今がある。我々がここで、世界中のお客さんにクルマを届けてきたように、今度はこの場所で新しいものが生まれ、世界に発信してほしい。東北に行けなかった仲間にとっても、子どもや孫に自慢できる場所になると思います」

2020年12月、東富士工場の閉所式で豊田社長は従業員にこんなメッセージを届けた。

「ウーブン・シティは更地の上にできるまちではありません。皆さんが働いた場所、残してくれた歴史の上にできるまちです。いつも自分のことよりも、仲間のこと、人の気持ちを一番に考える、皆さんが築いてくれた大切なことを、まちづくりに関わるみんなで受け継いでいきたいと思います」

5年たって迎えたこの日、東富士工場の従業員は、その約束を確認できただろうか。

一つの節目を迎え、新たなスタートを切るウーブン・シティ。東富士工場の人たちの期待も乗せて、未来に向けた実証実験が始まる。

 

トヨワクコンテンツ